人生は、暇つぶし

2017年7月18日コラム

この記事の所要時間:450

「私の生きる目的はなんだろう?」
「自分はなんのために生まれてきたのだろう?」
これらの問いに対する答えを一度は考えたことがあるのではないでしょうか?

私も「生きる目的」について、長い間、答えを探してきたように思います。

そして、なんとなく行き着いた答えが、
「仕事を通じて、社会貢献し、社会をよくするため」
というものでした。

この答えは、自分が仕事をする原動力となり、30代までの私を支えてくれていたように思います。

しかしながら、最近では、少し考えが変わってきました。

どう変わってきたかというと、
「人生は、暇つぶし」だと考えるようになってきたんです。

「人生は、暇つぶし」。
言葉だけとらえると、厭世(えんせい)的に感じるかもしれません。

しかし、
実際には、全く逆で、人生を楽しもうという考えなんです。

今回、
なぜ、「人生は、暇つぶし」という考えに至ったかとその考えが人生をどれだけ楽しくできるかについて、話をしたいと思います。

それでは、早速まいります。

そもそも、「なぜ生きるのか?」が愚問

「生きる目的は何か?」について、多くの哲学者や宗教家がその答えを求め、悩み、そして、答えらしきものに辿り着いてきました。

しかしながら、
生きる目的などそもそも存在しておらず、生きること自体が目的なのだとしたら、この質問はどうなるのでしょう?

「生きる目的は何か?」という質問自体が全く意味をなさなくなるのではないでしょうか?

しかしながら、「生きること自体が目的」ということがあり得るのでしょうか?

生きることと子孫を残すことが最終目的

人の最終目的は、「生きること」と「子孫を残すこと」です。
正確にいうと、生物は、と言い換えたほうがよいかもしれません。

生物は、「生きること」と「子孫を残すこと」を最終目的として遺伝子にプログラムされているんです。

そして、生物は、
「長生きしろ!」「子孫を残せ!」と遺伝子から命令され、その命令に対し、忠実に行動をとろうとします。

「人間はそんなことはない!」
多くの人が、そう感じるのではないでしょうか?

そうなんです。
人間は、本来遺伝子が意図する命令とは違った形で、行動してしまう生物なんです。

では、なぜ、人間は、遺伝子の意図と違った行動をとるのでしょうか?

「生きたい」と「子孫を残したい」の下位の欲求

人間が、遺伝子の意図と違った行動をとるようになった理由をお話しする前に、「生きたい」と「子孫を残したい」の下位欲求について、説明したいと思います。

というのも、「下位欲求」によって、人間と他の生物との違いが生まれているからです。

遺伝子は、「生きること」と「子孫を残すこと」ということを達成するために、それらを支える下位の欲求を用意しました。

分かりやすい例でいうと、「食欲」「睡眠欲」「性欲」です。
「食欲」「睡眠欲」は「生きるため」、「性欲」は「子孫を残すため」に用意された欲求ということになります。

実は、人間がもつ欲求は、「生きるため」か「子孫を残すため」のどちらかに分類されます。
異性を好きになるのは「子孫を残すため」、「出世欲」などは、組織の中で上位によくすることによって、生存確率を上げるという意味で、「生きるため」です。
また、自分の遺伝子が優秀であることの証明という意味では、「子孫を残すため」と言えるかもしれません。

このように、
生物が長く生き、子孫を残すため、
遺伝子は、それらを支えるための下位の欲求を用意しました。

しかし、人間は違いました。

人間は、他の生物が、本来、「生きるため」「子孫を残すため」に「手段」としての下位欲求を「目的」に昇格させてしまったんです。

もう少し詳しく説明したいと思います。

下位欲求の中での一番人気。「愛」

「生きるため」「子孫を残すため」を支える欲求の中に「愛」というものがあります。

「愛」を大雑把に分類すると、
異性に対する「愛」と子供に対する「愛」は「子孫を残すため」、
「人類愛」や「仲間に対する愛」は、「生きるため」に分類されます。

しかしながら、
「愛」ゆえに人は尊い、「志」ゆえに人は尊い。
そういった考えを人間が持つようになりました。
そして「生きるため」「子孫を残すため」を支える下位欲求「愛」を、目的に昇格させたのです。

じゃあ、どうすれば?

ダーウィンの進化論は、環境を最大の変数としました。
つまり、環境の変化に適応するために生物は進化すると考えたのです。

しかし、人間は環境に適応するためではない方向に進化していったのです。
それは、「思想」、「宗教」、「芸術」、「科学」といった下位欲求を満たすための活動でした。

生物とは、違う道を歩む「人間」。
この「人間」は、これから、どうすればよいのでしょう?
人間にしかできない下位欲求の探求を続ければいいんでしょうか?
それとも、「生きるため」「子孫を残すため」という生物の目的に立ち戻るべきなんでしょうか?

難しい問題ですね。

人生は、暇つぶし

生物本来の生きる目的を選ぶのか?それとも、人間独自の路線を行くべきなのか?

私は、こう考えています。
「生きること」や「子孫を残すこと」も「その下位欲求」も遺伝子が用意したもの。

だから、
「どちらを選んでも、遺伝子の支配下にいることには変わりない」

どちらを選んでも違いがないのだとしたら、
自分が今、面白い(楽しい)と思うことを選んだらいいんじゃないかと思うんです。

人生は、暇つぶし。
暇つぶしくらい、自分が好きなことをしたらいいと思いませんか?

折角なら、楽したい。
私はそう考えることにしました。

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