主体、本質とは何か。構造主義の始まり。

コラム

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内容と表現

ソシュールという言語学者が居ました。

ソシュールは「言葉」を「内容」と「表現」に分け、この「内容」と「表現」に論理的な結びつきはないとし、そして、そのような目に見えない構造によって世界は作られている、という説を唱えました。

は?ちょっと何言ってるのかわからないんですけど・・・?

ネコって何?イヌって何?

例えば「ネコ」という「表現」は、ニャーニャーしている動物が「内容」ですが、この表現と内容は規則性が無くなんとなく結びついている状態なのです。
ワンワンしている動物は「イヌ」ですが、この「イヌ」という表現が無ければワンワンも「ネコ」になる可能性がある、ということになります。

虹の色は何色?

日本で虹は七色です。しかし、他国では虹は五色であったり、八色であったりします。
レインボーというイギリスのロックバンドのアルバムに描かれる虹は五色です。なぜならイギリスでは虹は五色なんですね。
イギリスでは日本の虹の藍色とオレンジが無いのです。

それはイギリス人が虹の色を識別出来ないからなのではなく、単に歴史的・慣習的にそうなっているだけなのです。

既にそこにある構造。そして、そこに生きる我々。

このようなことから、人間は内容を判断して表現をしているのではなく、表現という記号がまず先にあって、次に内容を判断しています。

このソシュールの考え方を応用すると、そもそも世界は目に見えない構造によって作られており、我々はその構造に操られているだけでしかありません。
よって、考えたり、行動したりする前に構造があるわけですから、本質とか主体とかそんなものはハナから見せかけなんですよ、というわけです。

ソシュールの考え方を起点にして実存主義のような絶対主義的なものは衰退し、現代思想は相対主義的なものに大きく移行することになりました。

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